つらい出来事が教えてくれたこと

英語Terakoyaです。

やはり一番自分を理解し、丸ごと受け入れてくれるのは。。。

”家族”

だと、つくづく思います。

家族なら、たとえどんなに険悪になろうと、本音をぶちまけて、そしてまた元に戻ることができる。

あるいは、ネガティブになって弱音を吐いても、そんな気持ちの淀みや、落ち込みだって受け止めてくれる。

 

それは生身の自分、つまり、そのまんまの自分をしってくれていて、長い時間を一緒にすごしているから。

家族ともめることがあるとすれば、それは相手のことを思えばこそ。

そこに”利害”は存在しない。

他人だと、知っている部分は、限られている、だから、今まで自分がどんな人生を送ってきたかを、話ではきいていても
一緒に経験しているわけではない。

だから、そのとき、自分がどう感じていたかなど、相手は知る由もない。
そして、”それは過ぎたこと”と、こともなげに切り捨てられるかもしれない。。。。

でも、家族は、それを見ていたから、口に出さなかった思いも一緒にかんじとってくれていたはず。

そこにいて、無条件に自分のことを受け入れてくれているのが家族

家族はいつもそこにいてくれて当たり前、そんな日常になりがちだけど、

でもね、いてくれて当たり前ではない時がきます。私はすでにそうです。上の3人は親元を離れ、末っ子だって、あと4年もすれば、大学で家を出て行くかもしれません。あっという間です。

だから、家族との一緒に過ごす限られた時間は、もっともっと大切にしなければ、と思うのです。

もちろん、どこにいても

家族であることは変わりないし、心はつながっていると思うけど、

無条件で受け入れてくれるその”存在”にいつも感謝を忘れてはいけないなあ、と思います。

人はポジティブであるに越したことはない、でもいつもいつもポジティブでいることはむずかしい

 

そんな相手の弱さや痛みも、受け入れ寄り添える人でありたい。

以前子供の担任と話していた時
「子供は、自分の思いを共感して受け入れてくれる人がいて、そこからまた次へ進もう、と思えるんです」
と聞きました。

これは子供に限らず、おとなだってそうだと思うのです。

人は、悩みながら、迷いながら、時として過去を振り返りながら、そういう過程も含めて、成長し、前進していくものだと思います。

弱い気持ちを吐露しながら、それを自分の中で消化していくのです。(単なる愚痴におわらせるのは、また別の話)だから、家族はそれを愛でもって受け止めてきてくれたし、もちろん、私もそれを受け止めていく人であり続けたいと思うのです。

両親が自分に愛を注いでくれたように、子供たちが私を思ってくれるように、
私も親や、主人や、子供たちに、そして大切なひとたちへ、無条件の愛を注げる人でありたいと思います。
heart
そんな、家族のありがたさを、あらためて感じた夏でした♡

P.S. 誰かと言い争ったり、なんてことはありませんよ(笑)ただ、とても悲しい思いをして、ず~っと考えてしまった、そんな夏でした。でも、もう大丈夫♪

 

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