置かれてた場所で咲く、ことの意義

英語Terakoyaです。

先日GoogleのHangoutの使い方に慣れるために、次男を呼びだし、アメリカに彼が留学して以来、初めて
顔を見ながらしゃべりました、ようはskypeみたいなもんです。

その中で
「与えられた場所で、できることを探して精一杯やる、ということの意味がわかった2年生だった」
と言っていました。

もうすぐfinal examで1か月もすれば日本にインターンシップに帰ります。

私から見ていて
一年生の彼は

”ないものばかりに目がいって”いて、それが不満で、トランスファーもよく口にしていました。

そんな彼に~もちろん、彼のジレンマもよ~くわかりました。トランスファーではinteranational studentに奨学金をだしてくれるところはぐっと減るので、”奨学金なんてもらわなくてもいいからトランスファーしたらいいよ!とはいえない我が家です。4人の子供ですし~

”ないものにフォーカスするのではなく、あるものにフォーカスして、それに感謝して、そこから見えてくるものがあると思うよ”
と声をかけたことがありました。

大きいところにいけば、出会いも、チャンスもあるように思うけど、結局それだけ競争率は高い,もしかしたらそんなにチャンスが巡ってこないかもしれない
小さいカレッジだと、チャンスはたくさんあり、現に
この学年では、実にたくさんのリーダーや活動をして、最近は、競争率高くて、応募しても難しぃ、というポジションも得ることもよくあるようで、

結果として、遣りすぎてしまって、めちゃくちゃ忙しくて
一週間が二日ぐらいに感じるほど、

という具合に、自分を追いこみ過ぎてしまった感はあるようですが。。。。

そんなことができるのも学生時代ぐらい

 

私の口癖

「やりたいと思ったらやってみる、アプライしてみる、アプライしないことにはとおらないからね。それでとおればラッキー!

自分で勝手に無理と判断して、後で後悔するようなことは絶対しないで」

これは自分への戒めの意味でも言っているのですが。

 

「ないものばかり見ていたら、あるものに目が行かない、自分が求めて良く見てみたら、あるものもたくさんある、でも、どうしてもここではないものは、次の半年の留学で得てきたらいいと思うし。そんなことをこの一年は学んだかな」

 

お~、成長したやん!

 

このはなしの裏には、来年度からはトランスファーする友達との会話も影響してるように感じました。

彼はとても優秀で東大を蹴ってきました。彼のやりたい分野が、今の大学はイマイチ強くない、それでトランスファーを考え、優秀な大学に通りました。

でも、奨学金でないから、ものすごい額を親に負担してもらわなければならない。一人っ子で、あと2年だから、何とかできるけど、親に返さないと。。。。

 

みたいな話しをしたようです。

*ちょっとあなた!あなたもできれば少しでも還元してちょだいよ😉老後毎月仕送りしてくれてもよくってよ

 

大学ではいろんな活躍の機会があり、人気のポストがあります。そんなポストも、上級生が優先させれるものもあるでしょうし、今回ダメだったから、次回は君に優先順位があるからね、なんて言う具合なので

トランスファーをしないでも、得られるメリットはあるようです。

人脈もできますし、素敵な紹介もあったようです。

 

トランスファー、出してみるだけだしてみたら、ともちろんいったのですが、またTOEFLやSATを受けたり、エッセイを書いたりに時間をとられることが、今山のように取り組んでいることがある生活からすると、う~ん、と思うところもあったようです。

新しい環境を求めていくのもよし、与えられた環境で、そこでできること、そこだからできること、ないなら作る、それが無理ならどうしたらいいか考える

そうやって自分で考えつつ進んでいくことに意味があると思います。ないから諦めるのではなく。

人生、いつでもすべて欲する環境が整っているわけでなく、むしろ、そんなことは稀ですよね。なら、それをどうするのか?

不平不満、愚痴を言っていても何も変わりません。誰も変えてくれません。

まず、自分の考え方を変えることですよね。

 

そんな話を次男として、ずっと昔に読んだ

渡辺和子氏の著書『おかれた場所で咲きなさい』

を思いだしました。

 

P.S. オーケストラとやりたい!と言ったら、教授に「じゃ君が作ったらいい!」と言われたようですが、今までみてきたけど、オーケストラができるほどのメンバーが。。。と。そう、自分では作れないものもありますよね。簡単にかなえられないことがあるのも、またいいのでは?

 

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