惨めな私たちに….

英語Terakoyaです。

朝四時、着の身着のままでホテルに着いた私たち。すでに空は白み始め….

受付に、

“荷物遅延で何もないんです。もし、アメニティなど売っていたら買いたいのですが“

といったところ、

”売ってはないけど、ここにあるもの全部あげるわ”
3FB99F02-B0BE-4DEA-BBCE-BDF16BADAF10
と色々なものを出してくれました、さらに奥まで行ってとってきてくれました。

もう、見も心も疲れ果て早朝4時にホテルに到着した私たち、こんな親切に泣きそうになりました😢

こちらのホテルは、その後の荷物がなかなかなくて相談したところ、いろいろ力になってくれたりと、

もちろん、レビューばっちり書いておきました。

そうかと思えば、とんんでもないこと要求してくるホテルもあるのに驚いた今回の旅行です。

四カ所に泊まったので(^_-)-☆

そんな話聞いてませんが?


英語Terakoyaです。

トロントから利用したバス、割高だけど各ホテルまで送迎してくれる、というのもよくてそれにしたのですが….

 

まさかのサービス

途中いきなりメインロードをおりるではないですか、するとなぜか乗客が道案内を始める、

????????

なんと個人宅の前までの送り!しかも玄関までドライバー、スーツケースを持って行ってあげるという、深夜雪の中😓

この人だけかと思いきや、そのあと、さらに二人も

それも一度メインロードにもどり、またおりるということをその後も二回続けたので、聞いていた時間を超過

個人宅までの送迎なんてかいてなかったぞ!それもこんな深夜三時にドライバーがポーターまでするの?

 

最後に私たちのホテルへ。大幅に時間がかかりました。

この人たちにとっては普通よりかなりお高い値段でも、ここまでしてもらえたら納得でしょうが、

私たちは、遅延さえなければ二時間、ロードサイドの景色を見ながら走れたところを、暗闇の中、真っ暗な車内で、さらに、氷点下なのに暖房もなく、しかも大幅に時間超過して、となると、なんだかとても納得いかない結果となりました。

 

とにかくちゃんとサイトに書いて欲しいですね

一個人宅への送迎も行なっているため、予定時間を超過することもあります、と😡

P.S. 暖房の件

おそらく、他の地元の人は寒くないんですよ、マイナス数度ぐらいでは。、氷点下20-30度なんて冬は普通。今年はもっとさむかったようですし。

なので、旅行中まわりのアメリカ人の超薄着にとにかくびっくりでした。2,3度なら、彼らは、日本人から見ると春の装い。

私のようにダウンを、しがもベルトで締めてまで着ている人はかなり少数、着ていても前を大きく開けてるとか。

手袋なしでは無理な私、次男にも、手袋しなさい!というと、

ー寒くないし。手袋するのは-5度以下かな。こんなんでしてたらどうしようもないわ-

高校時代に、留学したいならしたらいいぞ、と

父に言われ、でも勇気がなくてしなかった私ですが、もし、してたとしても、この辺は絶対無理ですね😁

 

 

不幸の連続、信じられない、私たちが何をしたというの?

英語Terakoyaです。

二日目まですべて順調だったアメリカ旅。

やはり、そのままでは終わらないのが我が家。特に、私と次男は、何かとありえないことを引き寄せる体質で、

その二人が一緒に行くとこうなるのか、という 発狂しそうな状況に。

 

ホストパパに朝バス停までおくってもらい、時間通りにオヘア空港着。

が、Air Canadaのカウンターがなかなか開かない、そして挙げ句の果てに

システムダウンしたから復旧にどれくらいかかるかわからない、とりあえず私たちの乗る便はキャンセル

はあ????

 

けどまつしかないので、ひたすら列で待つこと二時間半。なんとかチェックイン、が、座席などは搭乗口できけ、みたいな😅

 

遅い昼食をとって18:15のフライトに合わせて行くと、さっさと19:15に知らないうちに遅延になってる😭

トロントに飛んでトロント泊まりならいいのですが、そこから予約したバスで更に二時間のとこに泊まるので、これ、ばすと連結待ってくれるのかが今度はすごく心配に。、

オヘア空港から二度ほど電話をし、事情を伝える

結局更に遅れて飛んだのは20時近く。

トロント空港について、とにかく早くsimカード買って電話しよう、と思ったのに

 

今度はまさかまさかの、荷物が、それも二つとも出てこない!どこかいった模様😭😭😭

時すでに11時半過ぎ

 

これ、バスがもう走ってくれなかったら空港泊かどこか空いてるとこ見つけるか?

 

けど、荷物がよりにもよって二つともなんてありえない!

私も次男も、荷物が他のとこに行ってあとで配達、ということが過去にありました。そんな二人が一緒にいるとこんなことに

 

さらに、時間が遅いのでsimを売ってる店も閉まり、バスの受付までとにかく行くしかない、といきました。

 

すると、1:15みんな揃ったら出発します、と。ホテルには届けてくれそうだけど、ダブルで襲いかかる災難に私はズタズタ😭

 

これも旅の醍醐味と思って、と次男

そして、パスポートとお金さえあればどうにかなる、という主人の言葉をおもいだすものの

この考えもしなかった状況を受け入れられない私でした。

空港も遅すぎてほとんどのお店が閉まり、アメニティなど買えないし….

 

ホテルに着いたのはまさかの朝の四時。

なぜこんな時間になったのかは、他に原因もあったのです。それはまた次回に。

 

この日私たちは朝の九時半に大学のゲストハウスを出たのでした。たかだかフライト一時間半のところへ一体どれくらいの時間をかけて、荷物を失いやってきたのか….

 

きっとあとで笑い話になるのですが、いまはまだ辛すぎる現実の真っ只中です😭

 

アメリカンブレックファーストとキャンパスツアー

英語Terakoyaです。 

時差ボケもあるだろうから、とホストマザーの気遣いで、10時にピックアップしてくださり、アメリカンブレックファーストに。

この日は2メートルちかくあるご主人も一緒に。

お二人ともとても親切で温かいお人柄で、こんなファミリーとマッチングしてもらって、本当にラッキーだな、と感謝しています。

ホストマザーは病院で仕事しているので、病院のボランティアの仕事も紹介してもらっています。

ケーキの甘さに倒れそうになりましたねえ、私の作るものの4倍ぐらい甘かった😅

いろんな話をしながらのお食事はとても和やかで楽しいものでした。

そのあとこの地域の名物ーチーズのフライーもドライブスルーしてくれました。

とにかく田舎なので、ドライブしても畑しかない、ので、知り合いの農場へつれていったくれ、動物と戯れました笑笑

午後からは、次男によるキャンパスツアーー

いつもクラスを受けている建物や、カフェテリア、図書館、ピアノのレッスン室、そして、一番好きでいつもそこで練習する、という部屋で、練習始めたばかりの楽曲のさわりを少し。

次のパフォーマンスで弾く予定だけど、ミュージカルに時間取られて練習できてないから、仕上がりが間に合わなければその次にする-とのこと。

買い足したいものがあったので、いつも利用する、という、唯一徒歩で行けるスーパーへ。

あと二ヶ月で二年生も終わるのですが、こんな風に彼の生活圏を案内してもらい、大学での生活が初めて想像できた気がしました。

ブレイク中でほとんど学生はキャンパスにはいませんが、それでもたまに生徒がいるとほぼ知り合いなのか、挨拶して来てくれます。

本当に田舎で周りに遊ぶとこもない、もっともliberal arts系の大学はほぼそんなとこに建てられていますけどね、勉強に集中できるように

ーこれ見たらわかったやろ?たまにシカゴに行って息抜きしないとあかんのー

と次男

ーいや、もうこの後、こんな田舎住むことないだろうから、今を大事にー

と私。

温かいホストファミリーとこの田舎で、とても心が癒されるような素敵な一日でした。

アメリカカナダ珍道中始まり始まり—

英語Terakoyaです。

手配にかなり時間や労力を取られたアメリカカナダ旅

みんなに、楽しみだねー、と言われても、いろんなことがちゃんとうまくいくのか心配な私は、どうもその言葉を心から受け取れないまま出発の日を迎えました。

上海からシカゴまで直行便。

 

そのあとバスで次男の住む街まで二人で行かねばならず、まずはそのバス停がちゃんとわかるのか、というのがそもそも心配

ネットでhow to get to the-,と調べて念のため写真も保存、という心配ぶり。

が、まずは問題はイミグレ。ESTAは事前申請してあるし問題なし、とおもったら、first ESTA userはこっちへ、とならばされたのがえらい長蛇の列、なのにイミグレ窓口たったの2個。

バスの時間までは二時間半あるから余裕、と思ったけど、あまりに進まない列に、無理だ、と思ってあからめてからだいぶ経って

窓口増員。上海のイミグレでもさんざん長蛇の列にならばされることは何度もあったけど、ここまでの列は経験したことがないし、上海ですらもっと早いタイミングでーもちろん、日本の対応の早さにはとても及びませんがーやる気なさげに増員しますよ

ばすはあっけなく見つかり、ただ想定外に二台停まっていて、聞くと前のだ、ということ。

とにかく乗り込みやれやれ、と思っていると2時のはずなのに1:40に出発、末っ子に、-二時なのにもう出るの?-と言われて、初めて気付く。

次男からも-そんな早く出るって、行き先ちゃんと確認した?-とメッセージ

一気に不安になりもう一度時刻表検索するとなぜか1:40

 

-違うターミナル見てたんちゃう?-と言われる。とにかく、つまりは、ギリギリ間に合った、ということです、こわっ

田舎の道をはしること一時間半強

バスの到着する駅にホストマザーと次男が迎えにきてくれていました。

 

大学のゲストハウスにはキッチンが付いているので食材など買いにウォルマートへ連れて行ってくれました。

時差と長旅の疲れはあったものの

ー今日ミュージカル最終日だし、6:30には行かなあかんから、それまでに食べたいな、あー、お腹すいたー

と次男に言われたら作るしかありません、スーツケースを置いたらすぐに夕食準備

そして、私たちもミュージカルへ。

スプリングブレークでみんなもう旅行にいっていないから今日は多分ガラガラやでー

と言っていましたが、なんのなんの、ご父兄らしき方たちもいらしてほぼ満席の盛況でした。

このミュージカルが、予想以上にリハなど大変でおまけにセリフもつけられたりで、リハが学校のテストに被り、死ぬほど大変だったようでした。

リハから夜中11時に戻ったら一時二時までとにかく死に物狂いでテスト勉強して、あとはもう死ぬように眠る日々だった、と。

でも、ミュージカルの様子からも、それだけ濃密にいい経験をしているんだな、ということがよく分かりました。

講演の後。片付けをして私たちのとこへ来たのは22時半を回っていましたが

ーちょっとカバーレター書かなあかんのもあるし、つかれたからもう自分の部屋帰るわー

 

と戻って行きました。

日付は1日戻るので、アメリカに来て晩御飯作って、ミュージカルまでみれた、充実し過ぎの初日となりました