長女VS次女 1


英語Terakoyaです。

長男VS次男があったら、女子版も!?

ところが・・・

三つ違いの坊主と違って、この二人は10歳違い

数年前までは、子供と大人、ぐらいな違いで、比較することすら無理。

 

末っ子も高校生になったので敢えて考えてみました(笑)

坊主二人が180度違う対照的な二人なのに比べて、

女子二人は、年齢の差、ということを外しても、全く違う二人。

ただそれは男子二人が正反対なのとは、また違います。

 

まず長女

小さい頃は、なんでもひとにゆずってしまうような、

こちらがみていて、”もう少し前に出たらいいのに”と

いつももどかしく思うほどの

おとなしい子。

(そうはいっても、私も小学生の頃は、そういう子だったので、人のことは

いえませんがね)

第一子ということもあって、私も新米ママで余裕なく、

自分の理想を押し付けて(笑)いたところもあり、

彼女もそれにこたえ、優等生的。

でも自分の意見は言えない。。。

が、彼女が、変わることになったきっかけが、小学校低学年で起こった!

 

同じクラスの後ろの席の子が、かなりの意地悪で、

朝学校に行ったら、

「これ、ランドセルから出して、机にいれて!」

と命令してきたそう。

「なんで?」

と聞くと

「それはあなたの仕事だから」

といった!はあ~???

小学校一年、入学早々、こんなこと言う子いるのか?

もちろん、辛くて、怖くて、(たぶん)泣きながらそのことを話してきたと思います。

 

その時に、

”自分がまちがってないなら、ちゃんと自分の意見を言えないといけない。

そうしないと、自分が困る場面がこの先たくさん出てくるから。

ちゃんとそれを言える勇気を持ちなさい”

と話したのを覚えています。

 

それでも怖いので、不安がる長女に、

友達にも一緒に言ってもらうことを提案して、何とか相手には伝えたようでした。

 

と、書いていると、その時に、腹立たしさや、私自身も

この先の長女のことに漠然とした不安を抱いた、あの時の気持ちがよみがえってきます。

もう、19年前ですが。。。

 

そして、その時以来、彼女は変わり始めました。。。。

もちろん、何かあるたびに、私も声掛けをしていきましたが、

それを行動に出すか出さないかは、彼女自身ですからね。

 

小学校高学年、中学、とどんどん積極的になっていきました。

が、、、

 

やはり、子供というものは、どこかで変わってくるもので、また次なる

変貌期を迎えました。

 

と長くなったのでまた続きは今度

長男 VS 次男

 

英語Terakoyaです。

我が家の坊主二人は正反対。年とともに顔は似てきたけれど(笑)

まず長男

小さい頃からとにかく腕白!幼稚園の先生から

「腕白四天王(あと三人いたんです、同じようなこが)」と

呼ばれていました。

ほら、棒きれ振りまわして”探検!”とかやってる小僧ですよ!

小学校のある日の下校時、余りに帰ってこないので、逆走して迎えにいくと、

向こうから、骨のおれた傘の上に長靴をつきさして、つまり、片方ははだしのままあるいてくる、なんとも、ワイルドな子がいるではありませんか!

はい、そいつです!(すでに、その時、入学3か月目で、傘を6本ほどダメにしていました。だって、友達ママが

「この前、帰りに用水路で、傘使ってザリガニすくいしてたよー!」と教えてくれましたもん

そしてとにかくサッカー大好きな小僧が、そのママ大人になった感じ

サッカーだけは、本当に、どれだけひどいけがをしても、後遺症が残ってまでも頑張り抜きました。

が、人間、全部全力投球は無理?なのか・・・・

当然?、

勉強は大きらい!いつも、無駄だと知りながら

「勉強しなさい!」と言い続けてきた。。。。。

大学4年生まで38単位も残して、最後までハラハラさせてもらいました。

卒業式2週間前に、無事卒業が決まった時に、

「いつもいつも崖っぷち、生きた心地がしない」

という私に

「崖っぷちで生きてやる!」

と謎の言葉を吐いたやつです

 

一方、次男

小さい頃からハム太郎で遊んでた(笑)たしかあれは長女にかったんだけど長女はこれまた、りかちゃん人形や、シルバニアではほとんど遊ばず

次男がシルバニアで遊んでいた気がします。

(我が家、基本的に、女子二人のほうが男前ですから

長男と同じサッカーチームに入れてみましたが、そんな人にぶつかりながら先に進むんなんてできない子、

相手を大きくよけて前に行こうとするものだから、コーチからおこられる

足は速いけど、性格がまったくあってなくて、やめました。そして、水泳や陸上で活躍

次男には一度も勉強しなさい、や、ピアノの練習しなさいといったことがありません。

あ、我が家は4人共ピアノをやっていたので、つまり腕白小僧の長男もやっていたのです。当然、「練習しなさい!」と言い続けてました(~_~;)

次男は、こんなに、なんもいうことがないなんてかえって心配だ、とおもっていたほどでした。

 

10代は、挫折だらけだった長男と、挫折はほぼない(上海の高校に編入するのに苦労はしましたが)次男

 

そのままいくと思いきや・・・・それじゃ、人生面白くありませんよね

続きはまた今度

子供たちそれぞれの高1時代

英語Terakoyaです。

いつまでも小さいと思っていた末っ子も高1。

今は離れ離れの上の子たちのことを考えながら

「みんなそれぞれどんな高1だったかなあ~」

と何気に思いだした夜。

 

長女、高1の夏休みから一年間、アメリカ・シアトルのプレップスクールへ留学していました。日本人がひとりもいない。。。。

今の末っ子をみて、彼女がそれをできるかといったら、とても無理。

自分の思いをめったに言わない長女が、一度だけ電話❓スカイプだったかな、してきたのは

同級生の男のこに、英語が下手とか、とにかく悔しいことを言われて、本当につらく腹がたった時だけ。(下手だからきてんねん!上手だったらけーへんわ!っていうたり!)その悔しさから、そのあとものすごく頑張ったようでした。

彼女が旅立つのを見送った帰り道、空を見上げて、切なくて切なくて涙がとまらなかったぁの時の自分の気持ちをリアルに思いだしました。

そんな彼女も社会人4年生。

 

長男は、サッカーで全国にいきたくて、全国常連校のサッカー部に入り、サッカー三昧の日々。中高と県代表に選ばれた彼ですが、怪我が絶えず、オペも何度かしたりで大変なサッカー生活でしたが、好きなサッカーを毎日して、監督からけちょんけちょんにどなられつつ、トップチームに少しでもはやく上がりたい一心でボールをおっていた日々。

あの、挫折と罵倒の日々のおかげ?で、今、社会人2年生ですが、まわりから

「辛くないの?」

といわれるほどの、新規開拓を日々一人でやっています。開拓先も普通の企業ではないので大変さかなりだと思いますが、体育会で鍛えられたメンタルで、頑張っているようです。

とにかく手を焼かされた子ですが、今は、口だけは、一番まともなことを言うようになった感じで、笑ってしまいます。

 

次は次男。

中高一貫校でしたので、そのまま高校に進学し、一時間が75分授業、土曜日は授業、夏休みも2週間しかない、という

勉強をたくさんさせてもらえる(笑)学園で、勉強に追われながらも、大好きな仲間たちに囲まれて安定した高校生活を送っていたころ、まさか、その一年後に上海に転校するとは思いもしなかったころです。

 

そして末っ子、現在形ですが。。。

彼女も、去年の夏ごろまでは、日本の高校に行くつもりでいたのですが、状況がかわり、上海にそのまま残っての高校生活

想像以上に忙しぃ高校生活ですが、とにかく上海の気風が彼女には楽ちんのようで、毎日地下鉄で友達と通学しています。

 

学校もみんなタイプがちがい、

長女は大学付属校、だから、高校での留学もできました。

長男は公立高校

次男は私立の中高一貫校,さらに高2の半ばで在外高校に編入

 

そして末っ子は在外高校

 

だれひとりとして、似たような高校生活がありません。これだけバラエティにとんでいるのも珍しいかも(笑)

どんな高校でもメリットデメリットがあります。

大事なのは、その高校のいいところを、どれだけ本人がわかって、利用していかせているか、ではないのかな、と思います。

本当、みんな全然違う高校生活だわ、と改めて思った夜でした

本当は一番伝えなきゃいけないのは親なのに SNSの闇


英語Terakoyaです。

SNSの使い方、いつも問題になりますよね。

子供から

“こんなこと書いてる“と見せられるメッセージ、誹謗中傷、時には相手が特定できるようなものも平気で載せてる

もう、病んでるレベル?と思うほど

でも、そういうのって、親は教えて欲しいだろうけど、よっぽど親しくないかぎり、伝えられないですよね

子供に返ってきて逆恨み、というのを伝える側は考えますし

自分の子供を守るのが一番ですし。

何かあってから、わかることになるしかないのか・・・

リアルでは何も発言しなくてもSNS上ではえぐい発言をするような子がいるんですよねそしておそらくそういう数が増えている・・・・

上の子たちの時代にもスマホはありましたがここまでの多種多様のSNSはなかったので、ここまで使いこなし、使い分けている、なんていうのはなかった

本当に末恐ろしい時代になりました

自分の子に、モラルある使い方をくりかえしつたえて行くしかないと思います。

子供の犠牲になった。。。?

英語Terakoyaです。

お誘いを受けて、半年ぶりに、とってもかわいい30代中国人女子とランチ。

安達祐実似の美貌と透き通るような美肌にいつも見とれてしまいます

 

彼女もママ。色々悩みはありますよね~

私が18年間専業主婦、そのうち7年は単身赴任だったので一人で4人を育てていたことを話すと

「じゃ、その間は子供の犠牲になってた?」

と聞かれました。

犠牲”?なんて一度も思ったことはないよ~、自分が欲しくて産んだし~

我慢”とも思わなかったなぁ~

”あれやりたい””これやりたい”なんて思う余裕がまずなかった

育てるに必死一日一日をなんとか送るのに必死

 

帰国後子供が学校になじめなくてものすごく苦労したり、おお怪我の連続だったりして、本当心が折れる寸前の日々をず~っと過ごしてた、と。

辛い、不安、心配、そんな気持ちしかなくて、心が痛かった。。。。

ぁの頃の私は、深い深い地中にいた、そんな感じです。

”不安は正しい判断を鈍らせるから”

と、頼りにしていた方にずっと言われていたけど、でも不安しかなかった。。。。

 

”じゃ、どうして、心がおれなかったの?”

”こどもの手が離れてきたら、仕事したいと思ってた。だから、やりたいことがすぐできるわけではないけど、そのために必要なこと、その状況でできることが必ずあるから、それが必要なことの100分の一であっても、それをやっていたからかな。

限られた環境で(転勤族なので、両方の親は常に頼れない状況でしたから)、細々とでも、今できることを続けてきた。それが、真っ暗闇の中にいた自分の唯一の、未来につながる支えになってたのは確か。

やりたいことへの一歩を、30代で始めるのと、40代で始めるのでは、やはり違うと思う、30代で始めておいてよかった。

いろんな道があるんだけど、それが今統合されてきてる感じがする”

(幼児たちの子育てに走り回ってたぁの頃から、長い年月が経って、やっと今こう感じています)

 

色々話しこんで、気づくと5時間あっという間!

 

子供の犠牲どころか、子供たちに今だに育ててもらってると思うし、子供の数だけカラフルな人生を送らせてもらっていると思っています。

もちろん、心配はたえませんが😉

そしてその背後には、そうです、一番大事な、主人の支え、大きな心があります