我が家のボーイズ 失踪事件 in Hong Kong

英語Terakoyaです。

なつかしぃ塾の先生とのやり取りに思いだすのはあのころのあれこれ。

長女、長男、次男とお世話になっていました。
当時3番目だと、たしか70か80%offだったので、近くに友達もいなかったので
塾というより楽しぃ習い事、ぐらいな感じで次男は行かせていました。

長男は地下鉄に乗って、一人でトンローワンまで行って帰ってきていました。

次男はあまさんに送迎は任せていました。

ある日、
「○○(次男)がいないんだけど」
とジュリエッタから電話!

えっ????

急いで塾に電話。

「いえ、もう帰ったみたいですよ」
でも一人でかえるはずがない、、、、

教室まで迎えに来てもらうのは周りの目がありいやだったらしく、ビルの入口で待ちわせていたので
先生はいつも通りに帰った、としか思わなかったわけです。

真っ青

先生もいろんな先生に証言をとってくれたらしく、
すると
「お兄ちゃんが教室にのぞきにきてた」

という話が!

ちょうどその日は長男も塾。でも、いままでそんなことせずに、自分は自分で帰ってきてたので。。。

とにかく長男に電話。
が、
連絡を取るために持たせていたこの電話ですが、実は全く役立たず。

こういう肝心なときにつながらない、電源切ってるか、電池ないかで 

一緒に帰ったかどうかまでは誰にもわからないまま。。。。

でも、そうだとしたらとっくについているだろう、という時間を過ぎても帰ってこず。。。

警察に電話か?

と思いだしていたところに、
「ただいま~!」

と二人仲良く帰ってきたではありませんか!!!!!!!!

その間、どんなにドキドキして、最悪な妄想をして、寿命が一気に20年ぐらいちぢまるような思いで待っていたことか。、
私の雷が落ちたのは当然です。

なんだかその日は気が向いて、弟を誘いに行って一緒に帰ってきた、というのです。人騒がせすぎる!
(帰りがおそかったというのは、弟を連れてどこか寄ったと思われます、カードの店とか)

当時、小学校6年生と3年生ぐらいだったかなあ・・・

以後、しばらく塾では
「○○(うちの名前)ボーイズ失踪事件」
といわれ続けましたっけ。

本当、海外でこんなことがあると、そのたびに、
「もう会えないのか」
と思い、寿命が一気に縮まるのですが、

今覚えているだけで、上海も含め、4回はありましたから、そのたびに20年としたら、もう寿命です( ̄▽ ̄)

sumaho

あいさんとのやりとり

英語Terakoyaです。

超高速で翻訳を終え、パソコンに向かったら、

「Hi, Mrs. ◎◎」

と、香港で我が家にいてくれた元あまさん(アイさん)からメッセージ。

そこから久々のチャット。

?今、きっとプレイルームでエンプロイヤーのチビちゃんを遊ばせている時間だな

私は末っ子が本当にまだベビーだったので、仕事中はモバイルは持ち歩かないで、といっていました。でもあれからもう10年近い歳月が流れて

そんなコト言うこと自体無理な世の中ですね。

でも彼女の場合は、ちゃんと子供のことは見ているので大丈夫なのですが、なかにはスマホに夢中で子供をみていないあまさんも多かった

私たち家族にいつかまた会いたい、と彼女。

そう、去年香港に行ったのですが、その1か月後に、彼女は香港に来たのですれ違いだったのです。

上海にいる間にまた必ず行くから、その時は会おうねぇ~、と話しました。

一人娘をフィリピンに置いているのが本当につらい、と。

私には想像がつきません、小さな子供と離れて暮らさなければならないこと。

お金を貯めて、少しでも早く娘ちゃんの元へ帰れることを祈っています。

ちなみに

”Are you still in China?”

なのです。同じ国と認識は、、、、( ̄▽ ̄)

語り明かした夜

英語Tetakoyaです。

香港時代の友人と銀座で待ち合わせ。
彼女は助産師さんで、帰国後もそのキャリアを生かして病院で
マタニティ関係の指導、健康指導など、外国人の外来がおおいなか
キャリアと香港時代で身につけた英語で活躍中!
ーどうやったら、パッと応答ができるようになる?ー
と聞かれて
ーそれそれ!私も中国語でまさにその状態で。さっきも本屋さんでいろいろ本見てたんだけど~。
でも、英語でも中国語でもそのトレーニングの方法は結局一緒で~
なんて感じで
話しをしたり、
彼女はとても向上心が強い人。
お互い、70,80になってもスキルやキャリアいかして仕事するの理想だよね!
と価値観もピッタリのひと。
さらに、ご主人単身赴任中(海外)3年目で
ーいつになったら主人かえってくるのかー
と、数年前の私と同じ状態なので、そのあたりの苦労もわかります。
上のお子さんは、来年大学受験
ということで、話は次から次へと尽きることなく、美味しいお料理をいただきながら
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とても心の満たされる夜を過ごせました。
実は、香港駐在してすぐに、酷い乳腺炎になり、子供の送り迎えのバスストップで、たまたま尋ねた方が、
この助産師の友人を紹介してくれ、いきなり出会いはマッサージで、
最初が自分をさらけ出す状態だったので、素の付き合いができたのかもニコニコ
価値観も色々な方が密に集まる日本人駐在社会で、
共感し会える友人の存在が、どれだけ支えてくれたかわかりません。
これからもよろしくねラブラブ

なぜならそこが家族全員で暮らした最後の場所だから

英語Terakoyaです。

ブログ村のジャンルを上海から香港にかえようかと思うぐらいの勢いですが。。。。

なぜ今回こんなにも心を揺さぶられたのか。。。。

自分でも予想もしない、驚くほど、揺さぶられたのです。

少し時間がたって答えが見えてきました。

それは

なぜなら香港が家族全員で暮らした最後の場所だから。

だから、

どこに行っても、何を食べても、誰に会っても、

そこには家族全員一緒の姿が思い出としてよみがえってきたのです

それは本当に大切で愛しい。。。

暖かさで包まれるような感覚でした。

香港から帰国した時から主人は7年間の単身赴任に入りました。

その間、留学にいく子がいたり、大学で東京へ出ていく子がいたり、と

全員で暮らしたことはなく、

そして今は主人と、次男次女、そして私の4人。

上の二人は東京です。

家族6人でにぎやかすぎるほどうるさく過ごしていた日々が思い出されて、ひたすら前だけ向いてやってきたそれ以降の時間を

一気に引き戻されました。

後ろを見てはいけない、とにかく前だけ見て、やっていくしかない

それは覚悟にも似たものでした。

なぜ今このタイミングで、しかも、本当は全く予定していなかったのに、その地へ行くことになったのか?

これは意味があるように感じています。

偶然でないように感じています。

今まで封印していた思いと思い出、

それに再度向き合い、そして。。。。?

ほぼほぼそして。。。。?のあとの答えは見えています。

でもまだまだ思いが交錯しているところもあり、今しばらく、素直に自分の心と向き合ってみようと思います。

でもひとつ言えるのは、過ぎてしまえば

あの大変で地を這うようなつらい時期も含めて

本当に幸せ

ということです

北方人VS 南方人

英語Terakoyaです。

香港に行ってものすごく感じたのが

みんな小柄!

住んでいるときは思いませんでした。

が、上海に8か月住んだあといくと、感じました。

授業でよく北方人は南方人より背が高い!

と出てきますがなるほど~

それで威圧感を感じるのか?

ま、それより物腰によるものが大きいでしょうね

でも老师によると、上海は北方人ではないということなんだけど。。。。

大きい方、多いですよね。

ついでに。。。。

先日主人が会社の仲間と行ったゴルフの写真。

日本人ばかりですが、180センチの主人が決して大きく見えるどころか、普通、いや真ん中より下?

みんな大きな方ばかり!

もしかして体格採用?

と失礼なことを言う私でした。冗談です。

*ちなみにTOEFL iBTの中国サイトで場所の区分けとして上海は
east Chinaと書いてあります。

今度は東ときたか!?