無理して時間を埋めようとしてないですか?

 

英語Terakoyaです。

駐在生活、ほとんどの奥様は、仕事をするのはNGのはず。

日本でバリバリ仕事をしていた方ほど、自分の収入がなくなる、そして有り余る時間に、心のバランスをくずしやすいかもしれません。

自分の存在って?というように。

そして焦って心の空洞を埋めるように、無理して予定を入れてみたり。。。?

でも、結局余計にむなしさが残る、みたいな。

日本での生活はすべて置いてきたハズ、それを決めたのも自分。

 

駐在生活で、今までの生活をリセットしたのです。

だったら、これからの事を考えた方がいいと思うのです。

”日本にいたらこうだったのに”ではなく、

”日本に帰った時にこうしよう”へ。

 

私は一度目の駐在は4人の子育て真っ最中で、駐在生活も怒涛のように終わっただけですが、今度は、そして今年からは本当に時間があります。

日本にいたら、仕事はたくさんあったと思います。

自分が仕事を選ぶこともできるようになっていたので、仕事量のコントロールも思うようにできていたと思います。つまり、自分が働きやすい環境を作りだすことができていたと思います。

目の前に仕事があれば、収入にもなるし、すぐにやりがいも得られるので、そちらに目がむき仕事を続けていたと思います。

それはそれでいいのですが、日々時間に追われるようになると、時間をかけないと取り組めないことには、なかなか取り組めなくなります。

きがつくと、ず~っと手つかず。

それがもし、この先に活きてくることなら、目先の仕事に目を奪われるのではなく、もっと長い目で見た時に、きっといろいろな良いことをもたらしてくれるであろうことに時間を割いた方がいい。

今は、時間があるので、それに取り組むのに最適の時。

だから、この時間は”神様からの贈り物”と思うようにしています。

 

忙しさの中で、大事なものを見失ってしまうこともあります。

時間のある今だからこそ、しっかり自分の心の声に向き合ってみるのはとても意味あることだと思います。

あまり興味のない習い事をしたり、しっくりこないとこもあるのにおしゃべりしたり、

ということで、心をすり減らさなくてもいいと思います。

 

だから、私は、やりたいことだけやって、話しても心地いい人としかご一緒していません(笑)

もっとも、これは子供が大きくなったから、子供繋がりのお付き合いの必要がなくなったからこそ、なのですが。

せっかく与えられた時間、活かすも殺すも自分次第です

 

こどもにいじられて。。。

英語Terakoyaです。

先日、体育祭のとき、自分と私の写メを、主人がファミリーラインに投稿。

すると、長男から

「おとうさん、老けたなあ、おっさんとおりこして、爺さんやん」

それにムキになって

「疲れてるだけ」(確かに前日まで出張でしたが💦)

と返す主人。

 

そしてその夜何やら動画を見ようとしている、そしてそこから聞こえてきたのは

「10歳老けて見える男性の特徴~」

というナレーション

なんだかかわいそうになり、それを長男に送ると

「かわいいやん」

 

こういう何気ない子供の一言が、親には結構グサッとくるもんなんです。

私も長女に、三年前

「会うたびにふけるよなあ」

と衝撃の一言を言われ、それ以来高級化粧品に変えましたもん😉

あれがなければとても使う勇気はなかったけど、あれはあれでよかったと思っています、私は。(主人は、○○(長女)、いらんこと言うから。。。とつぶやいていましたが)

 

とまあ、痛く、傷ついた模様でしたが、そこは気分転換の早い主人。

 

体育祭や学校の行事で、子供を見つけると、子供が何歳になっても、手を振る主人。

いつも子供たちに

「恥ずかしいから手、ふらんといて」

と言われるのに、

「なんでやねん」

と言って、振り続けること早○十年。

 

今年も、もちろん、振っていましたよ!

末っ子は恥ずかしくて照れ笑いしていましたが、一緒にいたかわいいお友達たちが手を振り返してくれていました。

だから余計うれしくて振る主人。

帰宅して、末っ子

「調子にのるからあんまり振らんといて、と友達にはいったんやけどな~」

とこぼしていました。

 

子供と同じくらい、いやそれ以上に、”子供な”主人です。(笑)

どこ出身?に悩まされる

英語Terakoyaです。いつも聞かれて戸惑うことは

「どこ出身?」

なんだそう、うちの子供たち。

困った時に、思わず口走ったのが

「岡山なんですけど、そのあと転々と。。。」

???転々と、って、なんだか。。。。

 

そもそも岡山は里帰り出産だけしただけで住んでもない。

次男の場合浜松に5年、香港に4年、奈良に7年、上海に1年半、アメリカにただいま2年なのですよ、本当は。

”出身地”の定義を以前調べた時に、10歳のころに過ごしていた場所、というのがありました。

そうすると”香港”なんですよね。

「でも、それ言うと、また話がめんどくさい流れになるのはわかってるから、それはいわない」

と。

だったら、何がいいのかなぁ、と考え

「いろいろ住んできましたが、一番長く住んだのは奈良です」

とか

「🏡があるのは奈良です」

かな?

でも、奈良です、と答えると

「え、どこ出身?」と逆に聞き返されたとか。

つまり、小学校高学年ぐらいから関西に住んだので、ネイティブ関西弁とはちょっと違うのです。関西人が聞けばわかります。

浜松も岡山も標準語のイントネーションで語尾だけちがいます(笑)

香港では標準語、そして今は英語

つまり、関西弁でも、標準語でもない、彼独自の言語が作りだされているのかも(笑)です

 

 

末っ子も「岡山で生まれて」

と答えたら

「じゃあ、~知ってる?」

と岡山のことを聞かれて、全くわから無かった、ということも

(わかる筈がありません。わたしにしても、もう、離れて○十年たっているので、ほとんどわからない

 

一連のこの話をしている時に、

「○○(末っ子)、香港4年、上海ももうすぐ四年、ということは人生の半分以上中国やん!」

となりました。

「やっぱり働くならアメリカがいいなあ」

という次男の横で

「上海がいい!」(これは、働く、という意味ではなく)

という末っ子、そうね、あなたには、本当に上海がぴったり

なら、中国語、そろそろちゃんとやってください💦

 

なんなん?せっかく加入したのに使えない月額安心サポート!でもわたしにはこれがある!

英語Terakoyaです。

4月、某大手家電店でMacを買った時に、やはり不安で月額安心サポートに入ったのです。というか、office 入れてもらったり、というために、これに入るしくみ。

Macにも慣れて快適に使っていたものの、バッテリーの減りが極端に早いなあ、とは思って居たのです。

そうしたら、次男がトランジットで泊まった夜、分からない操作を質問して、終了したあとに、いつまでもカーソルが消えない!

え、こんなことなかった、しばら~く待つも消えず。

次男

「こういうときは強制終了!大丈夫やって、パソコンにも機嫌が悪い時があんねん。人間と一緒で。自分も、なんか不具合あったらいつも強制終了してるけど、3年たつけど、Mac元気やで!」

で、強制終了。そのあと色々調べると、ぇ~、強制終了してよかったん???

と私の心配症むくむく。

 

翌日、ばたばたと彼を送りだして、心を落ち着けてから、

そうだあの家電で入ったサポートはリモート操作もしてくれる、といってたから電話しよ!

電話する➡つながらない、そもそも接続されない、

なんなん?これ、入ったけど、全く使えんやん

 

けど、Macでなければできない作業があったため、あ~どうしよう~。。。。

Apple supportがあるやん!

以前iphoneでお世話になった時の神対応を思いだし、電話がいいけど、予約制であちらからかけてくるので、きっと海外は対象外、とチャットに申し込む

相変わらずの神対応

言われるがままに操作をして、”これで様子をみてください”と。

「Macに乗り換えて、よくわから無いことも多く、本当にありがとうございます」

「Macに乗り換えてくださったのですね」

(聞かれてないのに、嬉しくなって)

「家族みんなでiPhone,iPad,MacPCを使っています。こういうサービスがあると、安心して使うことができます。」

と返しながら、

”他のお客様と並行して対応させていただいておりますので、すぐに返信ができない場合もありますことを~”

と最初にいってきた相手の人は

”はよ、終われよ”

とか思ってるんだろうなぁ、とメッセージを送りましたはよ、終われよ!

 

なにか困ったことがあったら、いつでもここに相談できるのは本当に心強い!うちは、主人がこういうこと、全くわから無い人なので。(知ら無さすぎてびっくり(~_~;)それでよく仕事でPC使ってるな、って思うほど(笑))

結局、こういう、完全なサポート体制を元に、ユーザーをどんどんふやしていくんですよね、でも最も大事なことですよね

技術+α

が、差をつけるのだと思います。

あ~、すっきりした!

さ、作業作業!

 

喧嘩別れから四年,今度はうまくやれるの!?

英語Terakoyaです。

誰のこと?うちの坊主二人のことですよ

思い起こせばいまから4年前。

当時、上海に行く直前の高2の次男、東京で大学2年生の長男。大学出願対策をするために、東京に行って、長男の家から対策の学校に通うことになっていました。

広めの部屋でしたが、生活の時間帯も性格も全く違う男子が共同生活すると、やはりお互いにはなにつくことも出てきて、

そこは自分の部屋だというきもちから、長男、結構次男にきつく当たりだした模様。。

そしてとうとう「もう、(長男)のところには帰りたくない。もう、あんなとこ帰るぐらいまら路上で寝た方がましだし」

と次男から緊急SOS!

主人はすでに上海に渡航していましたが、こうなるのは想定内のところで

「あと数日なんだし、もう、今日からすぐにどっか取れるとことってやって」

ということになり、ばったばっただったことがありました(笑)

今となってはいい思い出で、そのあと、時が流れ、お互いまた経験もして、彼らの関係性も変わりました。

 

長男ーずっと言い続けていたアメリカ留学を実現して、向こうでもしっかりサバイバルしてい弟を自慢に思っている、だから、彼が帰国すると、「焼肉食べにつれていってあげる」とか「服買ってあげる」とか、弟大好き

 

次男ー上海の高校に編入して、しばらく、そこになじむのに、おそらく今までで一番つらい思いをした、その時に、香港から日本の中学に編入して、やはりなじむのに苦労して、反抗期ともあいまって、荒れに荒れていた長男の気持ちが

「今なら(兄)のぁの時の気持ちがよくわかる」

といいました。彼の気持ちも氷解していったように思います。

 

とまあ、こういう過程をえて、今回の夏休みは東京でインターンシップをする次男は、

長男のところに居候させてもらうことになりました。

 

4年経って、長男は社会人2年目

次男は、アメリカ人(-20度でも、窓を開ける彼ですよ!)や中国人との相部屋を経験し、異国の地で2年の暮らしを終えています

それぞれ経験から学ぶことは多かったと思います

 

結構ひろい長男の家ですが、やはり、2か月余は長い

トランジットで泊まった夜

「あの時とは違うけど、でも3か月近くは、ちょっと不安やわ」

というので

「何言ってるの、三か月近くではないやろ、2か月余りやろ、こういう語感から感じ方もずいぶん変わってくるから

と私(笑)

「(兄)もずっと一緒だと、ストレスもあるだろうから、たまには(姉)のとこに泊りにいきなさいよ」

というと

「え、いいわ。それなら友達んとこいくし」

と、まあ、いつまでもみんな姉のことは怖いようです(~_~;)

 

我が家の坊主二人、仲良くね😉