やはりきてしまいました、やっぱりここ!


英語Terakoyaです。

やはりきてしまいました香港

今更観光目的もないので今回は大好きな人たちに会うためが目的の訪問

生後五ヶ月の子から10歳までの4人の子供を連れた香港生活をささえてくれた、あまさんのジュリエッタ、

 

そして親子ともに仲良くしていた友人親子に会うのが目的

11年の歳月をえて、今は末っ子の方がはるかに大きくなって、感無量の再開

 

あまさんとのトラブルは数多く聞きますが、我が家は本当にラッキーなことにいいあまさんに恵まれ、

 

そのお陰でずいぶん助けてもらいました。

今回香港に行く前に香港人の友人に教えてもらったopen riceをダウンロードし、

その日No.1になっていたお店を事前に予約。

どしてもフェリーには乗りたかったので、お店がワンチャイというのもベストでした!
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美味しいお料理と、これまでの話、そして末っ子以外の子供達の近況など、話は尽きることなく、楽しい時間はあっという間に過ぎました。

早くお金を貯めて、少しでも早く旦那さんと娘ちゃんの元へ帰れますように。

スターフェリーからの眺めも懐かしく、やはり、どこにいっても、何をみても”なつかしいー”

家族全員が一緒に生活した最後の場所が香港だったというのも、香港での生活が特別な感情を伴って、思い出される理由だと思います。

夜景を見ながら

“ありがとう”

と、心の中でつぶやきました。胸

がいっぱいになりました。

やはり、ここは、私たち家族にとって特別な場所です。

11年ぶりの再会に感動!in Hong Kong

英語Terakoyaです。

香港満喫中の次男、カオルーンステーションの改札当たりの動画を家族の

グルチャに送ってきました。(そこの上に住んでいたのですが、改札当たりはかわっていないのですが、地上部分が当時とは全く違ったものになっているので、それを、どうしてもみたかったようです。エレメンツなんてなかったし、、、、(~_~;))

と思ったら、ジュリエッタから、次男との写真も!

11年ぶりの再会!

そして

”He changed a lot, but still my ○○(次男の名前)… With a kind heart ♥.
 
 
You’re really lucky to have a son like him. Im so proud of you…”
なんていううれしいメッセージまで。。。
当時のかれは10歳
今は21歳ですものね・・・
よく塾やサッカー、水泳の送り迎えしてもらったよね~
はじめてぶち込んだ?(笑)ローカルのスイミングでは、最初の一か月はいやでいやで
泣きながらプールサイドを走って逃げて
それもジュリエッタに面倒みてもらったよね(笑)
ジュリエッタは教師の資格を持っていたので、英語も教えてもらったよね~
長男は勉強嫌いだから反抗的な態度で真面目にやってなかったけど
次男はちゃんとやっていたようでした(笑)
とにかく住み込みだったので、家族同様でしたからね。
年月って、あっという間にたちますよね。。。。
でもこの11年は本当に色々ありすぎて、一言では言い表せないほどのドラマがたくさんありました。。。。
おそらく後にも先にもこれほどの激動の年月はないと思います。
彼女にとっても、香港で何年か働いて、国に帰り
蓄えたおかねで
スモールビジネスを初めてそれがうまく行っていた矢先に
地震や、台風などのひどい天災に立て続けにあい
それも一度、立て直して、再出発したら、また天災でやられてしまい
やむなくまた、香港であまとして働いています。
彼女にしても本当に大変な11年間だったと思います。
うちのあとは、長男のサッカーのコーチのお宅に、
そして2度目の香港では、わたしや末っ子の友人夫婦(ほんとうに素晴らしぃお二人)のもとで働いています。
エンプロイヤーには恵まれていると思いますが
かわいい愛娘と離れて暮らすことは本当につらいと思います。
そんな、それぞれの11年のあと
なんだか二人が笑顔で映っている写真をみると、何と言っていいか、
「わあ~」
と、ただただ感動したのでした。
ぁの頃は、ジュリエッタより小さかった10歳の次男が、はるかにおおきくなっていて、
でもこうやって、時を超えて、”会いたい”といってもらえて、再会できたことは
ほんとうにありがたいことだと思います。

我が家のボーイズ 失踪事件 in Hong Kong

英語Terakoyaです。

なつかしぃ塾の先生とのやり取りに思いだすのはあのころのあれこれ。

長女、長男、次男とお世話になっていました。
当時3番目だと、たしか70か80%offだったので、近くに友達もいなかったので
塾というより楽しぃ習い事、ぐらいな感じで次男は行かせていました。

長男は地下鉄に乗って、一人でトンローワンまで行って帰ってきていました。

次男はあまさんに送迎は任せていました。

ある日、
「○○(次男)がいないんだけど」
とジュリエッタから電話!

えっ????

急いで塾に電話。

「いえ、もう帰ったみたいですよ」
でも一人でかえるはずがない、、、、

教室まで迎えに来てもらうのは周りの目がありいやだったらしく、ビルの入口で待ちわせていたので
先生はいつも通りに帰った、としか思わなかったわけです。

真っ青

先生もいろんな先生に証言をとってくれたらしく、
すると
「お兄ちゃんが教室にのぞきにきてた」

という話が!

ちょうどその日は長男も塾。でも、いままでそんなことせずに、自分は自分で帰ってきてたので。。。

とにかく長男に電話。
が、
連絡を取るために持たせていたこの電話ですが、実は全く役立たず。

こういう肝心なときにつながらない、電源切ってるか、電池ないかで 

一緒に帰ったかどうかまでは誰にもわからないまま。。。。

でも、そうだとしたらとっくについているだろう、という時間を過ぎても帰ってこず。。。

警察に電話か?

と思いだしていたところに、
「ただいま~!」

と二人仲良く帰ってきたではありませんか!!!!!!!!

その間、どんなにドキドキして、最悪な妄想をして、寿命が一気に20年ぐらいちぢまるような思いで待っていたことか。、
私の雷が落ちたのは当然です。

なんだかその日は気が向いて、弟を誘いに行って一緒に帰ってきた、というのです。人騒がせすぎる!
(帰りがおそかったというのは、弟を連れてどこか寄ったと思われます、カードの店とか)

当時、小学校6年生と3年生ぐらいだったかなあ・・・

以後、しばらく塾では
「○○(うちの名前)ボーイズ失踪事件」
といわれ続けましたっけ。

本当、海外でこんなことがあると、そのたびに、
「もう会えないのか」
と思い、寿命が一気に縮まるのですが、

今覚えているだけで、上海も含め、4回はありましたから、そのたびに20年としたら、もう寿命です( ̄▽ ̄)

あいさんとのやりとり

英語Terakoyaです。

超高速で翻訳を終え、パソコンに向かったら、

「Hi, Mrs. ◎◎」

と、香港で我が家にいてくれた元あまさん(アイさん)からメッセージ。

そこから久々のチャット。

?今、きっとプレイルームでエンプロイヤーのチビちゃんを遊ばせている時間だな

私は末っ子が本当にまだベビーだったので、仕事中はモバイルは持ち歩かないで、といっていました。でもあれからもう10年近い歳月が流れて

そんなコト言うこと自体無理な世の中ですね。

でも彼女の場合は、ちゃんと子供のことは見ているので大丈夫なのですが、なかにはスマホに夢中で子供をみていないあまさんも多かった

私たち家族にいつかまた会いたい、と彼女。

そう、去年香港に行ったのですが、その1か月後に、彼女は香港に来たのですれ違いだったのです。

上海にいる間にまた必ず行くから、その時は会おうねぇ~、と話しました。

一人娘をフィリピンに置いているのが本当につらい、と。

私には想像がつきません、小さな子供と離れて暮らさなければならないこと。

お金を貯めて、少しでも早く娘ちゃんの元へ帰れることを祈っています。

ちなみに

”Are you still in China?”

なのです。同じ国と認識は、、、、( ̄▽ ̄)

語り明かした夜

英語Tetakoyaです。

香港時代の友人と銀座で待ち合わせ。
彼女は助産師さんで、帰国後もそのキャリアを生かして病院で
マタニティ関係の指導、健康指導など、外国人の外来がおおいなか
キャリアと香港時代で身につけた英語で活躍中!
ーどうやったら、パッと応答ができるようになる?ー
と聞かれて
ーそれそれ!私も中国語でまさにその状態で。さっきも本屋さんでいろいろ本見てたんだけど~。
でも、英語でも中国語でもそのトレーニングの方法は結局一緒で~
なんて感じで
話しをしたり、
彼女はとても向上心が強い人。
お互い、70,80になってもスキルやキャリアいかして仕事するの理想だよね!
と価値観もピッタリのひと。
さらに、ご主人単身赴任中(海外)3年目で
ーいつになったら主人かえってくるのかー
と、数年前の私と同じ状態なので、そのあたりの苦労もわかります。
上のお子さんは、来年大学受験
ということで、話は次から次へと尽きることなく、美味しいお料理をいただきながら
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とても心の満たされる夜を過ごせました。
実は、香港駐在してすぐに、酷い乳腺炎になり、子供の送り迎えのバスストップで、たまたま尋ねた方が、
この助産師の友人を紹介してくれ、いきなり出会いはマッサージで、
最初が自分をさらけ出す状態だったので、素の付き合いができたのかもニコニコ
価値観も色々な方が密に集まる日本人駐在社会で、
共感し会える友人の存在が、どれだけ支えてくれたかわかりません。
これからもよろしくねラブラブ