ひとり違う道をめざすということ

英語Terakoyaです。

運動会で久しぶりにお会いした方がいました。

上海の生徒は大部分が日本の高校へと進学します。

帰国入試を利用したりもちろん一般入試を受ける人もいるでしょう。

そんな中にあって、芸術の道を目指すとなると、一人での戦いになります。

みんなが塾で対策をしたりして、早ければ秋ぐらいには帰国入試が始まり、
どんどん周りが決まっていきます。

その中で、芸術で受験するには、ひたすらそちらの練習をしなければいけないわけで
また受験方法も一般の高校と違ったりするので
自分で調べなければならない部分も多いわけです。

そして入試は、周りに比べるとおそい。

本当に孤独の戦いで、同じ状況の人がいないと本当につらいものです。

うちも次男がその状態だったので本当によくわかります。

まわりは指定校などで決まるこがおおかったので、年内に決まっているこのほうがおおかったかも。

まだこれから受験の生徒のために、自習の時間も増え、休み時間も次男はエッセイを書いたりいろいろしていたようです。

定期テストの結果も最後の最後まで必要で、むしろ後に行けば行くほどその結果は大事だったので定期テストの勉強も手を抜かずしていました。

それをまわりから、めちゃ気合入ってる、見たいにいわれてやはり内心穏やかではなかったようです。

まわりは海外出願がどういうものかしらないので仕方ないのですが・・・

高校生でもそうですから、中学生で、みんながどんどん学校が決まる中、最後のほうまで頑張るのは本当に精神力がいると思いますが

将来に向けての展望がはっきりしているのでがんばれるはず!

「気持ちを分かってくれる人としゃべれてよかった~」
とママ。

痛いほどわかります

 

お子さんはもちろん、お母様もすごくサポートをされている方なので絶対大丈夫!

ただママも時には息抜きしながら一緒に伴走ですね

出無精はデブ症?(~_~;)

英語Terakoyaです。

1週間も見事に家でいると、さすがに話題がなくなってきます

今の自分の母としていろいろな思いならいくらでもつづれるのですが

 

「お母さん出無精だから、用事ないとほんま外出ないし。おうち大好き~!」

(アクティブに思われますが、実はそうでもない)

というと、

「出無精って、外に出ないからそれでデブっていくデブ症だとずっと思ってたら

辞書ひいたら違ったわ」

と次男

よくそれで中学受験受かったわね。

良かったわ、アメリカに行く前にちゃんとそれがわかって

美しい日本語、忘れないでね。

 

けど、こういう思わぬ語彙をしらなかったりすると、やはり、小学校での4年間を香港で過ごしたというのは、少なからず影響してるのかなあ

と思ったりします。明らかに上の二人も語彙が…という気がしますから

その当時帰国子女カウンセラーの先生がおっしゃっていたのが

「たとえ日本人学校にかよったとしても、日常で目や耳にする日本語は国内で生活している場合と比べると8割ぐらいしかありません。」

ということでした。とずいぶん昔のことを思いだしました。

とまあ、ずっと家にいても子供らとの会話、あくことがありません
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帰国子女の帰国後教育

英語Terakoyaです。

私の教えにいっていた大手英会話スクールに、幼稚園?ぐらいの小さな生徒様がよく見えました。

 

英検2級を目指していたり・・・

帰国子女の方たちですね。

 

夏休み前、帰国の家庭が多いと思います。

 

うちも7月でした。

 

そして私も同じように近所の英会話学校に末っ子の英語力を維持したくて

マンツーマン(通常のクラスにはレベルが違って入れない)

に少し通いました。

 

あのときは焦りもありました。

こんなにしゃべれるのをなんとか維持したい、と。

 

その先生は、カナダの先生で奥様が日本人。

先生の子供たちは英語は聞くのは出来るけどしゃべるのは。。。だと、おっしゃってました。

 

でもインプットをしっかり続けておけばアウトプットする機会がきたときに

ちゃんとアウトプットしてそれで力はついていくから大丈夫、

と言われてました。

 

家でも、絵本の読み聞かせ、DVDは全部英語、ワークもしたり、としばらく続けましたが、日常に必要のないものは

どんどん薄れて・・・

 

 

そして理論的にものがわかるようになった今頃、もう一度やり始めているわけです。

ブランクはあってもインプットはしてきたから・・

と思いつつ。

 

幼少期での帰国は非常に、英語力を維持するのは大変です。

そんなことを思い出しました。

 

そのカナダ人の先生のレッスンを受けていたとき、

「○○is funny!

というので、どうしてそう思うのか尋ねると

She said, “Everybody
loves me”
and I asked her “why do you
think so?”

She said, “because I’m
beautiful!”

 

もう、すいません、状態です。

香港のコンドミニアムで、国籍問わず、老若男女から人気者だったので会う人ごとに、

cute””pretty”とか言われて

育ったのがその結果あせる

 

もちろんしっかり忠告しましたよ。

「お友達の前でそんなこと

絶対いったらだめよ」

と。にひひ

 幸いにも今、ちゃんとその辺はわきまえて暮らせているのでよかったです

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帰国子女の親の悩み

英語Terakoyaです。

先日Terakoya’s communityよりご連絡をくださった方とお会いしました。

現地校から日本人学校にかようにあたって、英語をどのように保持するかということで

ご相談をいただきした。

各々、年齢も状況も違うので一概には言えません、性格もそれぞれですから。

まずは、現地校と日本人学校との違いになれるということが一番。

それが過ぎたら、すきなことでやりたいことが英語でできる機会があるならそれを始める。

つまり習い事ですね、スポーツなど。

そして英検などをうけるべきかどうか、

ということですが

本人が受けたい、というのが私の中では大前提、特に低学年でしたら。

人間って「合格」

すると誰しもうれしくて、上をめざそうかな、と思いますね。

それはいいモチベーションになります。

英検の級を通して、英語学習を続くけていく指針にする、という使い方なら大賛成!

そうでなければ、絵本を読んでやるとか、ステージ別になっていたり、シリーズになっていたりする、
子供の好きな本を読む、もしくはそういうDVDを与える、でもいいと思います。

心配しなくても、一度入っているものは、しかるべき環境になったときに引き出すことができますから。

せっかく身に着けた英語が落ちていくのをもったいないと思うのは大人だけ。

子供にとってはは新しい環境になじむのに必要なことを少しでも早く身に着けていくことが死活問題ですから。

でも、英語をアドバンテージとして活かしたい、と本人が思った時に自ら進んで学ぶはずです。

極端なはなし、大人になったって、本人がその気になって身に着ける人はいくらでもいるわけですから。

とにかく、まずは新しい環境になれる、そして好きなことを通して英語に触れる、そして慣れてきたら

子供がその後どうしたいのか、聞きながらやっていけばいいと思います。

絶対こうしなきゃだめ!

なんていうのはどこにもないのですから。

子供が10人いれば、10通りの英語保持の仕方があっていいと思います。

でも、海外と日本を行き来する親子の悩みは、共通ですよね。

わたしは上の子たちで、その後もみてきていますし、現在まっただ中の下の子たちもいる身ですから、

すこし広いスパンでお話させていただけたかな、と思います。

またいつでも迷われましたらご相談くださいね

お互い、この地でしばらく頑張っていきましょう

今日は楽しい時間をありがとうございました

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三者三様の高校生活

英語Terakoyaです。

我が家の上の3人は、まったく別々の高校生活を送りました(送り中の子もいますが)

まず長女。

大学付属校のオールイングリッシュのコースに進学。

高1からシアトルのプレップスクールに一年間留学。

帰国後も、日本の教育要綱とは全く別の英語による授業でした。

受験の心配がないからそれはそれは大学生のような?生活を送っていましたね。

行事にしても何かと派手。

自由でしたね。ほんと。。。もっと厳しくしてくれ、というぐらい

次男の元高校の校長先生に長女の学校名を聞かれて

「ああ、それはまた軽やかな 学校
にかよわれていますね。

お姉さんの学校とうちを比べてはいけないよ」

と次男が言われていましたっけ

もっと学校行事など自由にやりたい、と発言した時に。

次は長男。

かれは大好きなサッカーをやるためだけに高校に行ったような子。

全国にもでるような高校でサッカーをして、1年後半にしてまさかのAチームに上がり、張り切っていた矢先に大けが、そして3度のオペ、1年以上のリハビリ、残ってしまった後遺症。

でも毎晩足を氷嚢で冷やしながら痛みとともに3年の冬までサッカーを続けました。

勉強といえば定期テストの前にちょろっとするだけ。それでもなんとか評定をとり、指定校で進学。

サッカーとリハビリの明け暮れた高校生活。

週末もずっと練習試合だったので、本当、遊びに行く暇もなかったですね。

最後は次男。

中学受験で入ってそのまま高校へ進学。

がちがちの昭和教育で、土曜日は月1回休みなだけ、夏休みも2週間、とまあ、勉強時間がとにかく長い!

常に勉強に追われていましたね。

そしてピアノのコンクールにも常に出ていたのでその練習。

息抜き程度の部活の位置づけ。

でも時間の使い方のうまい彼は、うまく息抜きして、カラオケやユニバにもよく行っていましたし、かろうじてある春休みや夏休みには、友達ととまりの旅行に行ったり、主人のいた東京に行ったりと、

もしかしたら上の二人以上に遊ぶ時は遊んでいたと思います。

そして高2の2学期からまさかの上海への編入。

学校の雰囲気ががらりとかわり、がちがちの締め付け間のあった前校とはおそらく正反対。

戸惑うこともあるでしょうが、おそらくクラスの3分の1は、ミックスのこたちやで~、という環境で、

高校を二つ通った分、多くの出会いと経験をこれから重ねていくことになるでしょう。

三者三様の高校生活です。

それぞれがどんなその後をたどるかを見守るのも、また興味深い?(ひとごとではないですね)
かも

さて、おちびはどこでどんな高校生活を送ることになるのか、皆目見当がつきません

でも、なにかに「一生懸命頑張れる」そんな高校生活を送ってくれたらなあ、

と母は願います


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